今日は久しぶりに外に出てブログを書いています。暖かくなってきましたね。梅の花が咲いています。桜の花が開くのももうすぐでしょう。気持ちのよい季節です。

さて、今回のブログは逃げて良いときと逃げないで立ち向かうときというタイトルで書いてみようと思います。人間生きていく中で困難というものは必ず起こります。その困難とどう付き合っていくほうが良いのか、避けていくべきなのか、それとも立ち向かうべきなのか。この選択は私はとても重要だと思っています。

自分にとってプラスになり得る困難

困難というのは文字通り困ったことなのですが、その反面困難に立ち向かい、乗り越えることによって人間としての成長、深みを増してくれる効果もあると思います。慣れた仕事、楽な仕事、こういう仕事ばかりというのも良いかもしれませんが、果たして人としての成長がそこにあるのだろうかというと厳しいと思います。人間関係にしても同じことが言えると思います。付き合いにくいお客さんがいる、でもその人と一緒に仕事をしないといけない、そういうシチュエーションもあると思います。こういうときもかなりストレスになりますよね。でも、その人から気に入られるくらいになるとそれは素晴らしいことですし、また相手から気に入られるまではいかないにしても仕事に支障をきたさない程度の付き合いができるようになるだけでも、自分自身の人間関係スキルのバリエーションが増えることになりますね。

このように、乗り越えることは大変なんだけれども、これを乗り越えたら自分にとってプラスになりそうだ、そう思える困難というのがあります。その困難については逃げずになるべく向き合っていけると良いと思います。

自分にとってプラスにならない困難

どんな困難も乗り越えると自分の成長になるという方もいるでしょうが、私はそうは思いません。立ち向かうよりも逃げたり、支援を要請したほうが良いときもあると思うんです。そういう時ってどんなときなのでしょうか。セクハラ、パワハラ、いじめ、こういう困難がそれに該当すると思います。これらの困難は不当な困難というべきで、明らかに相手に非があるのに自分の立場上困難として降り掛かってくるものです。いじめの話が出るとたまに「いじめられる側にも問題がある」という声を聞くことがありますが、そんなことはないと思います。セクハラ、パワハラ、いじめに関しては本人に非があるのではなく、周囲に問題があるのです。そのような環境下で我慢して耐えることが自分にとってプラスになるでしょうか。難しいと思います。そういう困難については逃げるのは大事な手法です。または、そういう問題を取り扱っている支援機関に相談すると良いですね。

逃げるべきか立ち向かうべきか、この線引きは難しいかもしれません。ですが、その線引きの一基準として自分にとって「これを乗り越えたら何かプラスになりそうだ」というのはあっていいと思います。そしてそのように直感で感じられるような困難にはちょっと頑張って立ち向かってみると良いと思います。そのプラスになりそうだというものがより具体的であれば立ち向かうモチベーションにもなります。