コラム

成人の日に思う「大人であること」とは

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今日は成人式の日ですね。ニュースでも各地の成人式の模様が放送されているのを見ました。まずは新成人の皆さん、成人おめでとうございます。

さて、成人になるには20歳になれば良いわけで、それが即「大人である」ではないと思っています。本人は自分は大人だと思っていても周囲からはまだまだだなって思われることがしばしばあります。私もそうでした。今もそうかもしれません。では大人になるってどういうことなのかを考えてみたいと思います。

自分よりチームの利益を考えられる

チームという表現をしていますが、自分が所属する集団のことです。人は大なり小なり集団に所属しています。その集団に自分が所属していることを自覚し、自分の利益だけではなく集団の利益をも考察の範疇に含めることができることは「大人である」ことの条件に含まれると思います。基本的には集団の利益はそれに所属している個人にとっても利益になるのですが、時として集団の利益と個人の利益が相反することがあります。こんなときにどうするか。答えは決まっていません。少なくとも私はそう考えています。

自分の行動に責任が持てる

お酒を飲んで暴れる、人に迷惑をかける、そういったネガティブな行動に対してもう養育者が庇ってくれることはありません。自分で責任を負わないといけません。なので、自分で責任が負えない範囲の行動をしないように、行動の先にある結果まで考えて行動できるようにならないといけません。しかし、すべての大人がそう考えて行動できているかというとそうでもないです。日々ニュースで報道される事件では成人した人が犯してしまったものが取り上げられています。時として「大人である」と言われている、思われている人でも自分の責任を超えるような行動を取り、人に迷惑をかけてしまっています。では、自分の取れる責任の範囲とはどこか、一つは法律という基準があります。これを逸脱するとアウトです。しかし、日常生活のすべてが法律で基準が作られているというとそうでもなく、客観的基準はないのが現実であり、時と場合、集団によってその基準は大きくブレるものだと思います。

私が考える「大人である」こととは上記に書いたようなことを念頭に入れつつも、いろいろな事象がもつ曖昧さを包含した判断をし行動する人なのではないかと思います。曖昧さというのはどうしてもついて回ります。答えがありません。答えがないから迷うこともありますし、答えがないからチャレンジする動機にもなり得ると思っています。

新しく成人となった方々がこういった曖昧さ、不透明さを受け入れつつこれからの人生を進み、立ち止まり、ときには後退をしつつも、自分の良い人生というものを形作っていかれることを祈っています。

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カウンセリングルームDearLifeカウンセラー高井聡一郎

会社員時代は営業、技術、人事とさまざまな分野の領域を経験。人事の仕事の傍ら産業カウンセラーの資格を取得。現在放送大学で心理と教育のコースで心理学を専門に習得中。3人の子の親。

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